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米田知子 -終わりは始まり

原美術館

2008-11-30

米田知子 -終わりは始まり

最近写真ばかりになっていますが、今回も写真です。米田さんは現在ロンドンに拠点を置いて国際的に活躍している作家だそうです。

この作家もあまり知らない作家でした。なので、今回初めて作品を見ました。やっぱり、気になったは「見えるものと見えないもののあいだ」ですね。眼鏡を通してみている、文章を撮影した作品。眼鏡のレンズの中だけがピントがあっていてあとはボヤけているわけです。しかも面白いのは、フロイト、ヘッセ、コルビジェ、マーラーなどなどの眼鏡をモチーフにして作品を作っています。ブレヒトの眼鏡を通してベンヤミンからのメッセージを撮影してある作品なんかは非常に面白いと思いました。日本人もモチーフになっていて、谷崎潤一郎の眼鏡を使った作品もありました。

カメラのレンズを通して撮影すると、画面全体にピントが合ってしまう。もちろん、背景をボカしたりすることは、ある程度可能だが、極端にある一点だけにピントを合わせることはしない。しかし、人がものを見ているときは本当は実際に目に入ってくる映像はいろいろあっても、その中で意識が集中しているものへピントがあっているのが普通ではないでしょか?誰かと話しているとき、そのピントはその人意識は向けられています。実際には回りに景色はあるし、その人自身にしても、アクセサリーをつけていたり、服を着ていたりするわけです。で、そのときは、そのような余分なものは見えていないのではないでしょうか?

本を読んでいるときは、正に今読んでいる行にピントがあいその前後などは、ボケている感覚ですよね。意識でのレベルでは。

モチーフでは、有名な人物の眼鏡を使って、ある意味状況再現的な感覚で作品が表現されています。見る側はその人物の視線を体験する。ブレヒトの見ていたもの、見えていないもの、コルビジェが見ていたもの、見えていないもの、そんなものを感じることができる。さらに、それは、米田さんなりの、その人物への解釈とも見ることができる。実にユニークな写真だと思う。

写真としては「シーン」のシリーズの『炭鉱』が好きになった。これは単純に感覚で。「シーン」は風景写真で、一見すると、ただの風景なんだけど、実はその場所は歴史的に意味のある場所という作品。自分が好きになった『炭鉱』は南満州鉄道の重要財源になった露天石炭、撫順のもの。でもそう言った理屈は関係なく、パッと見たとき好きになった写真。あと、図録の表紙の写真も好きです。「ウェデイング」。

昨日で最終だったので、見に行くことはできないのですが、機会があれば、「見えるものと見えないもののあいだ」は見たら面白いと思います。

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